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院長紹介

 

 
  
  
    *私はなぜ治療家の道を選んだのか

    *経済誌ワードから取材
     
(俳優の丹波義隆さんがインタビュアーでした。)

    
*こんな資格持っています。

    *医学雑誌の専門誌から原稿を頼まれました。


院長自己紹介動画

      
  
        私の辛い経験

 《回想1》

   四j畳半一間の部屋で、私は何日も何日も眠りこけ
       ていた。 
       今は夜なのか、昼なのか、何日なのか、何曜日なの
       か分からなかった。
       ただひたすら眠りたかった。 
       まったく、何にもやる気が起きない。 
               
       大学5年生だった。  

       1科目だけ残して、僕は留年したのだった。 
       眠気とやる気が起きない頭で卒業後どうするか考
       えていた。 
       眠るのに飽きると本を読んだ。 

       読書は好きだったのでよく読んだ。 
       いろんな思考が頭の中を巡った。 
       そして同じところに戻ってくる。 
       堂々巡りだった。

       布団の中で読んだ。万年床だった。 
       食事はほとんど外食、食事を作る気力がわかない。
       
       食べるだけ食べて寝たいだけ寝るからどんどん太っ
       た。 
       今の体重は大学生の頃になったのだ。
       1年間週1回の授業以外はほとんど人に合うことも
       なく引きこもりになってしまったのだ。





 《回想2》

         毎日毎日家に帰ると家庭教師が待っている。 
       僕は小学6年生なのに何故こんなに勉強しなけれ
       ばならないのだ?

       外遊びしたいのに机に縛り付けられたようにじっと
       興味のわかないことに意識を集中しなければなら
       ないのだ。 
       それも6年生になってからではない。 

       4年生からなのだ。 
       毎日毎日勉強ずけ、遊ぶことは許されなかった。 
       日曜祭日は関係なかった。 朝から晩まで勉強
       だった。

       「車輪の下」という小説があったが、僕の少年期
       はまさにそれだった。 
                 
  
       試験のある中学に入るためだった。 
       サボると母の怒声を浴びなければならない。

       悪い成績をとるとやくざのように怖い父にひどく
       しかられる。 
       僕って何のために生きているのだろう。
       小学生の僕にとって能力以上のことを期待され
       強要され
       ることは死ぬほど辛かった。

 中学校に不幸にも合格した。 
 授業を受けていると先生が問題を言い終わる前
       に即答するやつがいた。 
       何だこいつは宇宙人か? しかし、僕は退屈で
       まるで頭に入らない、 先生が言っていることを
       理解できないのだ。 
       というよりも神経衰弱になってまったく気力がな
       くなったのだ。

       そんなある日、宙に舞っている自分に気がつい
       た。 
       あれ空を飛んでいる。 
       そして、いきなり頭から地面に叩きつけられた。 
       瞬間自分は死ぬと思った。 
       そうだ自分は鉄棒で大車輪をして手が外れた
       のだ。 
       そして頭から叩きつけられた。 
       大車輪をする前からなんとなく手がはずれそう
       な予感がしていた。 
                
       分かっていてなんであんな無茶をしたのだろう。 
       プールに飛び込んだ時もプールの底で頭を打
       った。 
       バットをスイングしている人の後ろにいてバット
       が僕の顔面を直撃した。 

 思い出せば、受験勉強を始めて身動きが取れな
 くなった
       と感じ始めた頃、やはり鉄棒から頭から落ちたこ
       とがある。 
       何で死ぬようなめに何度も遭うのだろう?(計8回
       遭っている) そして、何故生還できたのだろう。




 《今、思う》

       私は少年時代より身体がきつく身体をどこにおいて
       いいかわからない。それこそ身のおきどころがないと
       いった感じでした。 

       寝ても座ってもバランスがとれない、おまけに 物事
       に集中できない。   

       自然にどうやったら楽に集中できるか子どもごころに
       関心があり調べるようになりました。

       そこで出会ったのがヨガのポーズでした。 
                  
       あのポーズは背骨を良くして精神を集中する為のも
       のでした。 
                  
       姿勢がよくないと頭の働きもよくならないのです。 

       また或る本には心臓が弱い武術家が彼の師匠に
       背骨を矯正してもらったら心臓病が治ったとの記
       述をみつけました。 

       次第に精神を集中するより人の体を脊椎や骨格
       を矯正することて゛、健康を回復することに関心が
       向かいました。 

 そこでいろいろ調べていくとカイロプラクティックや
 オステオパシーに出会いました。
              
                  
 
       そうした医療技術を学んで分かったのですが わた
       しの不定愁訴は事故によるものであることが分かっ
       てきました。 

       鉄棒から頭から落ちたり、プールに飛び込んで底で
       頭を打ったり、 バットをスイングする人の後ろに立
       って顔にバットが当たったりで散々な目に遭ってい
       るのです。 

       下手をすれば首の骨が折れて死に至るような事故
       だったのです。

       こうした事故は身体を悪くする最も大きな原因にな
       るのです。 

       ラッキーだったのはこうした事故で具合が悪くなっ
       ても回復する手立てがあるということです。 

       オステオパシーの頭蓋骨矯正や古武術活法は私
       のようなものには大きな光明です。  

       手技療法ですべての症状が改善できるわけでは
       ありませんが、 どこ行っても治らなかったものが
       先生のおかげで治りましたといわれるときはこの
       仕事を選んで本当に良かったと思います。

       ひどい事故に遭いながら今日まで生きながらえる
       ことができたのは今の仕事をしなさいという神仏の
       思し召しかもしれないと感じている昨今です。




     

  少年時代、何歳だったか覚えていませんが、身体が
 だるく身の置き所がない、気力がなくやる気がでない
 といった時期がありました。

       母に言うと、病院に連れて行かれました。 
       そこで自律神経失調症という診断をうけたのです。

       今考えると前述の事故がひとつの原因であり、他の原
       因として
       考えられるのは家庭環境によるものが大きいとおも
       います。 

       家庭には厳しい空気がいつも張り詰めていました。

       小学校に入ってからは、4年生から6年生までの3年間
       外遊びをしたことがありませんでした。

       教育大付属小学校に入学した私は、付属中学校に
       入学しなければならないと両親に言われていました。
       能力以上のお過度な期待を背負わされたのです。
       そのため外遊びをさせてもらえず、学校から帰ると食
       事とトイレ、風呂,睡眠以外は勉強でした。 日曜日は
       目が覚めたら、ズーっと勉強でした。

       不幸にも付属中学校に合格した私は、中学校で神経
       衰弱になってしまい、勉強に対する気力がまったく失
       せてしまいました。 

       ひと学年150人中100人が修猷館に入る秀才ぞろいの
       中学校で私は最下位のあたりをうろつかざるを得ませ
       んでした。 

  厳しい家庭環境でしたから、私の顔から表情がなくな
  ってきました。 

       高校生の頃、能面のような顔だといわれたことがあり
       ます。
       そんな中で事故を繰り返しました。当然、心身ともに
       ぼろぼろです。
       本気で思ったことはないのですが、死にたいが口癖で
       した。
       死ぬような目にあって苦しみから逃れたかったのでし
       ょうか?
       潜在意識がそのように仕向けたのでしょうか?
                
       高校生の頃、キリスト教会に縁ができ通うようになり
       ました。 
       そこで少し救われたような気持ちになりました。

                 
       しかし、大学生の時、一年間引きこもってしまいま
       した。 

       ひたすら、眠っていました。 
                 
       本を読むか、眠るか、おかげで一年留年してしまい
       ました。 
       でもこのときの一年があるから今の私があるのです。

       ひたすら眠ることで、疲労をとることができたのです。 
       がんばらなかったので鬱までならずにすんだのかも
       知れません。

       私の心の遍歴は続くのですが、いずれブログなどで
       発表したいとおもいます。 
       しかし治療技術と出会って自分で自分に治療したり
       他の治療家に行く過程でかなり体調も気分もよくなっ
       てきました。 




      


    略歴

          昭和30年生まれ
      福岡大学教育大学付属中学校卒
      福岡大付属大濠卒
      法政大学英文科卒 英語教師資格取得
      旭流通1年勤務
      大東医学技術専門学校柔道整復科卒 
      国家資格柔道整復師免許取得(整骨院開業資格)
      ユニバーサルカイロプラクティックカレッジ卒
      渡辺整骨院で接骨とカイロプラクティックを研修
      インターン後29歳で開業。  
      オステオパシーはカイロプラクティックの学校で
      1科目履修後毎年、年2回のオステオパシー国際
      セミナーを毎年受け、アメリカ人講師より多数の
      テクニックを学ぶ。
      他の技術もいろんなセミナーにて習得。

      34歳の時に古武術師範と出会いがあり活法、殺
      法ともに学び始める。

      MRO(J)取得 MRO(J)とはオステオパシーの手技
      の技術においてアメリカのオステオパスと同等の
      技量があるとアメリカのオステオパシー学会より
      認定された日本のオステオパスのこと(九州では
      3人)。 
      アメリカにおいてはオステオパスはメディカルドク
      ター(日本の普通のお医者さん)と同等であり薬注
      射メスも使える また手技もできるもっとも権威あ
      るドクターである。

      独自に東洋医学を研究
      古武術師範より古武術の活殺法の伝授を受ける
         



  

 さまざまな治療技術を学んでまいりましたが
 どれも一長一短があり学ぶにつれ欲求不満を
    持つようになりました。 

    また手技療法は職人技であり科学という側面
    を持っているのですが多くの治療師が科学的
    な方向に向かいすぎて職人技の手技の技が意
    外にうまくない人が多いのに気がつきました。

    私は古武道を長年学んで参りました。 

    古武道には骨を砕いたり全身の骨をばらばらに
    する殺法と骨を接いだり整復する接骨の技(そ
    れを資格化したのが柔道整復師)や意識を失っ
    たものを蘇生する活法があるのです。

    そのどちらも学び20年かけてその奥義に達す
    ることができました。 

    古武道の技は身震いだけで相手を身動きでき
    ないようにする不思議な技があるので、一見
    神秘的ですらありますが、 実は、てこの原理
    やバイオメカニックス(生体力学)で説明できる
    ものなのです。

    いまよく聞くナンバ歩きもその原理のひとつで
    日本人独特の身体操作です。 どんな外国人の
    スポーツ的な動きよりも無駄がありません。 

    日本人がこうした動きを取り戻した時にはオリン
    ピックでは金メダルを独占できるかも知れません。 
    活法自体は云うまでもなく武道の極意です。 

    この極意を生かして手技を行うと患者さんは抵抗
    ができず無駄な力を身体に入れられませんので施
    術効果が何倍にもなります。 

    こうした武術の極意と今まで学んだ西洋のカイロ
    プラクティックやオステオパシーを統合することに
    よって全身の骨を完璧によい位置に転換すること
    が可能になりました。 

    すると神経が開放され爆発的に自然治癒力が働く
    ようになって参りました。 

    治癒力が完璧な状態で働く身体を整った体と云い
    ます。 
    つまり整体の状態です。 あらゆる技術を32年の
    歳月をかけて統合しました。そして患者様が整体
    の状態になっていただくという願いを込めて
    統合整体法と名づけました。


     


   《趣味》 読書 武道研究 子育て

  好きな哲学 陽明学

      好きな言葉 敵を知り己を知れば百戦危うからず。



       小年の頃の夢  漫画家  プロレスラー

       補・マイショートヒストリー

       16歳の時加藤諦三の本にに出会い大きな感銘を受
       けました。 
       今まで信じていた価値観が音を立てて崩壊したかの
       ようでした。 しかし、反対に気持ちが楽になりました。

       高校時代はキリスト教との出会いもあり、宗教書や哲
       学書を読み漁ったりしていました。 
       7年間、ある宗派のクリスチャンになって過ごしました。

       真剣に人生を考え、自分に向き合った時期で多感な
       少年であったと思います。社会派弁護士 ラルフネイ
       ダーに多くの影響を受け社会貢献できる仕事を志し
       ました。

       弁護士や教師を夢見たこともあります。 大学は英語
       教師になろうと思って英文科に入りましたがすぐに今
       の仕事をしたいと思うようになりました。 

       最終学年時にせっかく大学に行ったのだから普通に
       就職もしてみようという気持ちになり企業に勤めました。 

       一年勤めた後、自分のしたいことは治療なんだとはっ
       きり自覚ができました。専門学校に行きなおして資格
       を取りその時に教えていただいた渡辺勉先生とご縁が
       できインターンすることができました。




        
         

            私には4人の恩師がいます。
        1人は前述の渡辺勉先生。 

      立ちはだかる巨大な壁

           この方は治療に対する真の情熱と治療家としての考
       え方や生き方を教えていただきました。 
       とてもまじめな先生で治療家として超一流でした。 

       そんな先生を心から尊敬しています。
       先生のところはスタッフが足りていたため押しか
       け弟子になりました。 

       昼間は無給で働かせてもらい夜はバイトししました。
       朝は7時30分に治療院について掃除をしてインター
       ンをはじめました。 

       先生から時々バイトのないときはお酒を御馳走して
       もらいながらいろんな話を楽しく聞かせていただきました。 

       そんな中に珠玉のような大切な話がちりばめてあり、
       治療家としての哲学や考え方を学びました。 
       先生の師匠はお父様でした。 

       もうなくなられましたが接骨師(柔道整復師)でいらっ
       しゃいました。

       この方は活法もできる大変希少な先生でした。 

       実は後で分かったのですが、息子さん(私の師匠の
       渡辺勉先生)には教えなかった活法を私に教えてく
       ださったのです。 

       師匠はカイロプラクティックに情熱を傾けてあったの
       であまり活法には御興味がなかったようです。 
       それで父君が私に教えて下さったようです。

       最近になって師匠が言われた 「矯正しすぎると体が
       壊れる、治癒力を誘導するんだ」 といつもおしゃって
       いたのですが、その意味がようやく分かってきたよう
       な気がします。

       今の私よりもずっと若い時期に悟ってらしゃったと思うと、
        師匠は巨大な壁だと思わざるをえません。

        いつの日にか超えたいと切に願ってやみません。

        2人目は平塚晃一先生。

    オステオパシーの大恩人

            学生時代にオステオパシーに対する情熱を教え
        ていただきました。
        当時はオステオパシーは日本にひとつのテクニック
        しかありませんでしたが、平塚先生がアメリカやヨ
        ーロッパから初めて輸入されいくつものテクニックが
        普及されつつあります。 

        平塚先生がいらっしゃらなかったら私はオステオパ
        シーを学ぶことができなかったと思います。 
        テクニック面での大恩人です。 
        理想が高く、オステオパシーを愛する志はとても高
        く一切の妥協は許されませんでした。 

        おかげで、正しい形でゆっくりとではありますが、日
        本でオステオパシーが普及しつつあります。

        3人目は桜田善治先生。 


    SOTの第一人者

            私が身体の全体像を捕らえる診断のベースになって
        いるSOT(仙骨後頭骨テクニック)のテクニックを、ずー
        と何年も教えていただきました。 

        東京から何年も福岡に足を運んでくださいました。 
        SOTは診断の体系が複雑で反面テクニックが簡単すぎ
        てこんな方法で治るのだろうかと使いこなせる人があま
        りいなっかたのですが、

        桜田先生に学ぶことによってSOTに開眼させていただ
        きました。 お酒の好きな豪快な先生で開業間もない
        私たちによくお酒をおごっていただきました。

        最後はK先生です。


      古武術の名人

        古武術の恩師です。秘伝の武術のため名前も流派も
        公開できません。 初めて先生にお会いしたのは私が
        34歳でした。

        その流派はマニアの間では大変有名で、最も神秘的
        で日本武術の粋を集めて作られた最も高度な日本武
        術といわれています。 
        両手をつかむと踵がういて顎が上がり身動きが取れ
        なくなります。

        私の腕をつかんでくるんと捻って顎に挟まれるとどうし
        ようもないのでそのままついていかなければなりませ
        んでした。 

        とにかく技をかけられるとまったく抵抗ができないのです。
        力が入らず10秒くらい金縛りにあったようになって動け
        なくなったりします。
        毎回おっかなびっくりですが、口伝を授かると決して神
        秘の技ではなく物理的、力学的に説明ができるものでした。 

        K先生は抜群の天稟を持っておられ天才としかいいよう
        がない方でした。 
        生きてこの時代に出会える幸運を喜ばずにはおられま
        せんでした。

        講談に出てくるような古の大名人がタイムスリップしてこ
        の世に現れたかのよです。
        人間的にも大変優れた方で、技術、人格両方兼ね備え
        ている類まれなる師範です。 
       この方からたくさんのことを学べた幸運を感謝しています。

《取材》





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平成22年5月オステオパシー内臓マニプレーション国際セミナーに参加







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